老化や病気のための犬の介護についての体験談第3段ですが、実はまだ何を書くか決めておりません^^
色々とあるものの、え~と何にしましょうねぇ...
決めました、今日はの介護する方の心構えでいきましょう♪
私にとって初めての老犬の介護はオルフェの祖父犬が肺がんであるとわかった時から始まりました。
それまでの子は老衰である朝気が付くと亡くなっていたミックスの子、夜中に発症した腸ねん転で診察してもらうことができずに朝を待たずに亡くなったファーストアフガンのシモーヌ、脳溢血により病院し治療中に息を引き取ったケースもあり、看病を必要とすることがありませんでした。
勤めていた会社から23歳の時にフランスに単身赴任(独身だったけど^^)し半年が過ぎた頃、犬のいない生活がなんとも侘びしく、また一人暮らしの寂しさも感じ始めていた私は、フランスの犬の雑誌を買って読むようになりました。
雑誌の中でパリから車で一時間ほどのところにあるアフガンのブリーダーさんを見つけ、ある日遊びに行く感覚でアポを取り仔犬を見に行ったのでした。
雨の降る冬の日の午後、暖かいお家の中で見せて貰った仔犬には心の平静を保てた私でしたが、帰り際にちょっと大きくなった若犬が目に入ったのでした。
それが、9年後にオルフェの祖父犬&祖母犬となるヨルティップ&エグレアとの出会いでした。
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ここから先は長くなるのでご興味のある方はカテゴリーからこの子たちの記事を探して読んでみて下さいませ^^ヨルティップとエグレアは、20代~30代の私の人生を一緒に生きて来た相棒であり、お別れの日が来るなど想像もできないほどに私の一部となっていました。
その子が肺がんで余命数ヶ月と診断され治療法はないと言われた時の衝撃は激しく、私はセカンドオピニオンを求めてアメリカで勉強された最新の考え方をする獣医師のもとを訪ねました。
そこでのレントゲンやエコー検査も結果は同じく辛いものでしたが、肺がんを手術する事ができる獣医師は日本に二人しかいない事を教えていただきました(当時は...)。
そのお一人は相模原市にある麻布大学のS先生で、その先生ならばまだ手術が可能かもしれないと知り、卒業大学が違うことから面識がない中ご尽力を頂いた末、その名医に紹介状を書いていただくことができました。
麻布大学付属動物病院は人間の大学病院にも匹敵する清潔感と設備で、一般的な動物病院のイメージと大きく異なり驚きました。
広い待合室には私と同じように、多くの獣医師から神とも呼ばれるS先生の手術を受けるため、日本中からたくさんのワンちゃん&猫ちゃんと飼い主さんが集まっていました。
北海道から数日ホテルに泊まって治療して貰っている人までいて、同じ関東に住む私の通院など大した努力ではないのだと知りビックリしました。
先生の診断ではタイミング的にはすでにギリギリの状況ながら、手術と抗がん剤の投与で助かる見込みもあるとのことで治療が開始されることになり私の心は躍りました。
その時の長い経験談はここでは省略させていただきますが、結果だけ申しますと9月末に受けた大手術は成功し、その後毎週のように抗がん剤の点滴を受けるためにに3時間(途中で具合が悪くなることがあるため高速は使えません)かけて通いましたが、年末に骨肉腫を発症し1月初旬に再度の手術を受け、その数ヵ月後に命を終えました。
肺がんが見つかった時に無理をせず、そのまま静かに余生を生きる道もあったでしょう。
でも手術を受けた事で苦しそうな咳がなくなり呼吸も楽になったので、どちらがより良い選択だったのかは未だに断言できません。
ただ一つ言えることは、あの子の命を救うために何もしないで時が来るのを待つなんて、あのときの私にはとてもとてもできませんでした。
また、もともと体力と気力が充実した子だったことも、難しい大手術を乗り越えてくれた要因だったと思います。
神とも崇められる獣医師は、正直言いますと初対面の時は冷たく怖い人だと感じるほどでした。
後になりわかった事ですが、飼い主さんには愛犬・愛猫を助けたいという溢れんばかりの気持ちや、色々な感情があり、日本中からやって来ては更に待合室で数時間も待っている人たちを一頭でも多く正確に診察するために、必要な情報だけを冷静な会話の中で得るため意図的にそのような空気を作っていらしたようです。
その経験で心に残ったことをいくつか書きますと、先ず大切な愛犬・愛猫が重病になった時はどれほど辛くても飼い主は常に明るく元気に振る舞うこと!
体が辛い上に、大好きなお母さん&お父さんが涙にくれてしょんぼりしていたら、犬や猫は更に心配事が増えてしまい治癒力が低下してしまうからです。
これは外国生活で感情表現が豊かになっていたことが幸いし私にはとても自然な行為でしたが、検査結果が思わしくないと先生に説明を受けている時にちょうど検査が終わり出て来たヨルティップを迎えた時は、笑わっていなかったら泣き出してしまったかもしれません。
犬にとっては元気な時でも嫌なはずの検査を受け入れ、若い研修医に先導されて待合室に戻ってくるヨルティップは、とてもとても良い子ですね!と褒めていただきました。
そんなヨルティップを私は笑顔で迎えては、”イイ子ね~!凄いね~!”と大げさに褒めるのでした。
私が求めるままに頑張って病気と闘うヨルティップ、検査を終えて私を見つけて嬉しそうに笑い尻尾を振って歩いてくる姿は本当に健気で、できることなら私が身代わりになりたいと心から思い抱きしめました。
時々そんな私たちを目にすることがあった先生にも、私たちの絆の強さが伝わったように感じました。
肺の三分の一を摘出するため肋骨を大きく開き、心臓を移動して癌の摘出をするという大手術を見学するために、研修医が20人ほど見学しているのを、2階にあるガラス張りの家族用待機室から見守りました。
これは手術中に予期せぬ事が起こった時、飼い主と医師が直ちに話し合いに判断を下すために必要なことでした。
ドキドキの数時間は無事に過ぎ、麻酔から覚めたことを確認してから2~3泊入院し、合併症が起きないことを確認してから家に連れ帰り自宅で看病する事になりました。
それを聞いた時には本当にビックリしましたがS先生の考え方によると、
犬はなぜ自分がこれほど辛い状態でなぜ知らない人に世話をして貰うのか、なぜ病院にいるのか理解する事ができず、最悪は家族と離れ離れになった絶望感から命を落とすこともさえある からだそうです。
また、肺がんの摘出という大変難し手術を受けた後は命の危険度も高く、合併症などの決定的な事態が起きた時にはほぼ致命的となるため、最後の時間は家族と一緒にいるのが一番幸せなことであり、また自宅でリラックスして過ごすことで治癒力が高まると考えるからだそうです。
もちろん毎日自宅で相当の世話をする覚悟が必要ですし、30cmにも及ぶ腫れた術跡を飼い主が消毒し、自分で点滴パックを取り換えたり速度を調整したり、点滴用の注射針の管理をする必要がありましたので血を見るのも怖い人には向かないでしょう。
私の場合はS先生を紹介して下さった町の動物病院がバックアップ体制を取ってくださり、獣医師と看護師さんが毎日朝夕の注射や診察に来て下さったことで自宅介護が可能となりました。
またヨルティップはとても社交的な性格の犬でしたので、大好きな人たちが代わる代わるお見舞いに来て下さるなど、闘病しながらも楽しい時間を過ごすことができました。
現在オルフェの介護をする上でこの経験はとても役にたっていると思います。
偶然ですが今お世話になっておる獣医師はヨルティップがお世話になったS先生が主催する学会に所属して癌治療の勉強をされております。
また、患者と医師の信頼関係がとても大切だということは人間でも同じですので、普段から獣医師との人間関係を作っておく事もとても大切だと思います。
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「」
辛くても感情をあらわに出さずに・・・・ですね・・・
濃い文字のところ・・・心にひびきました。
本当にそうかもしれませんよね。
今はまだ頭でしか理解できてないかもしれませんが、
そのときに思い出せたらと思います。
ありがとうございます。
「」
今回の記事で「大切な愛犬・愛猫が重病になった時はどれほど辛くても飼い主は常に明るく元気に振る舞うこと!」というのが心に残りました。
数年前からジュニアの健康にも色々なことが起こり、その都度「自分は何をしてあげられるのか」と考えていましたが、自分の気持ちでいっぱいいっぱいで却ってジュニアを不安にさせていたかもしれません。
常に明るく、大切ですね。
「じぇな様」
体力が続かなくなると明るく楽しく過ごすのはけっこう大変です。
でもそれを心がけているだけでかなり違うと思うのです。
これはある意味人間の社会一般でも通用する考え方で、辛いことにいつまでもくよくよしたり落ち込んでいては良い空気は流れませんものね!
ごんた様
はい、S先生のこの言葉は深く私の心に残っています。
確かに飼い主が落ち込んでいると犬もさびしそうになるのって良く目にする事ですよね。
だけど、U動物病院で三つ子のお耳チェックなどの間に犬の名前を入れた替え唄を歌って気を紛らわさせていたら、そんな私にU先生が苦笑...
<ワタシ馬鹿みたいですね^^>って笑うしかありませんでした!