ブログの更新は週2~3回と一応決めているのですが、書きたいことがあると書かずにいられないえるぐれあです。
昨日は大型犬の老年介護に関して、私の体験談を含めて書かせていただきました。
皆様からコメントを頂き、またヴィヴィアン様のブログではそれに付随する記事を読ませていただきました。
犬や猫と暮らす上で
”最後のとき” が来ることは避けられません。
どれほど可愛くても、どれほど離れがたくてもそれが生きるものの定め。
ちょうど良い機会なので、もう少しこの関連のことに触れてみたいと思います。
私のファーストアフガンは真夜中に腸ねん転をおこし苦しみましたが、病院に深夜は診療できないと言われ朝方亡くなりました。
実家のすぐ近くの病院で、先生のお母様は兄の小学校の担任の先生でした...
翌日申し訳なかったと花が届きましたが、もちろんその病院には二度と足を踏み入れていません。
当時は今ほど動物病院がありませんでした...
母は今でもそのことを思い出すと泣いてしまいます。
エル・ヨルティップの時は10歳を過ぎて気になる咳をするようになりましたが、友人でもあったY病院の院長からは ”年齢的な問題” と言われていました。
それでも気になった私は強く検査をお願いし、レントゲンに写っていたものは肺の三分の1を占めるガンの陰でした。
すでに手遅れと言われ大学病院の紹介もしてもらえなかった私は、諦めきれずに地域で一番古い病院に相談に行きました。
そのN病院にはお父様が院長の時代にドーベルマンでお世話になっていましたが、この時の院長はアメリカの大学で学士号をとられた息子さんに代わっていました。
”同じ検査をしてお金がかかりますが良いですか?”
と聞かれ納得の上での診察で、やはり一般の病院では手が付け様がない状況と言われました。
それでも日本で唯一手術ができる先生がいると教えてくださり、手を尽くしてその大学病院の名医を紹介してくださいました。
また、大学病院から指示される手術後の自宅治療も往診でやってくださいました。
ヨルティップは結局肺がんが転移した骨肉腫を併発し天に召されました。
でも早期発見できなかったことで自責の念に駆られつつも、何もできずに見守るだけだったら私の精神は壊れてしまっただろうと思います。
このことがあって以来、私は二つの病院を使い分けることにしました。
高齢のエグレアはアメリカ的な丁寧な治療をしてくださるN病院で、若いオルフェは今までお世話になってきたY病院で。
一人の先生の意見や考えが絶対だとは限らないと実感したからです。
そしてエグレアの時はこれが逆の形で幸運になりました。
エグレアの様子がおかしくなった夜10時にN病院に電話したところ、その夜の救急受付は若い先生で院長は自宅不在との事でした。
アドバイスを頂いたもののその後も嘔吐が止まらす、12時過ぎにもう一度電話すると
”一人では何もできないので水も飲ませずに明日の朝まで我慢させてくれ”
と、いわれました。
仕方なく様子を見ましたが、とてもそんな悠長な事態ではないと判断しY病院に連絡。
夜間対応の電話ですぐに胃捻転だと判断し、他の先生にも連絡し緊急手術をして下さる事になりました。
ヨルティップとエグレアの息子アンジュ君の場合は、お誕生日の健康診断で肺がんが見つかっていました。
当時は一切症状がなく苦しんでいなかったこと、大学での精密検査の結果、そして父犬の闘病生活を踏まえ手術はしないことに決められました。
それから数ヵ月後のある夜 :
<咳をしたな...これから大変になるのかな...>
家族の方がそう思った一時間後、アンジュ君は眠るように息を引き取りました。
まだ心の準備ができていなかったご家族にも私にもとても辛いお別れでしたが、アンジュ君にとっては一番良い形ではなかったかと思います。
最後にもう一つ、私の兄家族が飼っていたゴールデンレトリバーのイチゴちゃんの話を...
イチゴちゃんは10歳で白血病になりました。
皮膚が炎症を起こし広範囲に脱毛し全体に膿みが広がり、酷い匂いがするようになりました。
恥ずかしい話ですが兄夫婦と子供達(当時高校生と大学生)は、辛くて見ていられないと特別な世話をしている気配がない!
その状況があまりにかわいそうで私が引き取り看病することにしました。
病院で言われるままに毎日・朝晩消毒してもしても一向に引かない膿と強烈な匂い...
悩んだ私はアルカリイオン水を作るときにできる殺菌効果のある酸性水で洗ってみました。
すると日増しに患部がきれいになり、ひと月もしたらナント産毛が生えてきました!
それまでのイッちゃんは私のことは好きでも、家族とは認識していない様子でした。
それなのにこの頃にはすっかり私を頼っている様子で、仕事から帰ると大喜びしてくれるようになりました。
イチゴちゃんの皮膚はきれいになりましたが病気は進行していきました。
最後の日の前夜、連絡をすると兄はやって来ましたが姉も子供達も見るのが辛いとだけ...
その晩は一緒に添い寝をして過ごしましたが、その苦しみように安楽死を決断し明け方往診していただきました。
もちろん場合によりますが、安楽死は人間には許されない動物だけの特権でもあると思います。
そして兄夫婦には、生きている限り二度と犬は飼わないでほしいと言ってあります。
でもこの兄夫婦は実家の猫が交通事故にあったとき、Y病院に駆け込んでくれたこともありました。
その時タオルに包まれた猫が痙攣を起こし無意識に姉の手に噛み付いてしまい、姉も病院に行くほどの怪我を負ってしまったのに文句も言わずにいてくれました。
事故にあった猫はまず助からない大怪我でしたが、兄夫婦のおかげで九死に一生を得ることができました。
だから彼らの動物に対する優しさの全てを否定するのは違うと思いますが、
<最後の時> にイチゴちゃんが一緒にいたかったのは長年共に暮らした家族だったであろうと思うと、今でもとても辛く申し訳ない思いがします。
それらの経験を含め、病院選びと普段からのお付き合い、そして飼い主の認識と決断がとても大切だと私は実感しています。
by:えるぐれあ
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「小さな命を守れ」
「ヴィヴィアン様」
私達がちゃんとしていなくては、自分で病院に行くことなどできないのですから。
その病院選びはまた同様に大切なポイントです。
今夜のブログ、楽しみにしています!
「」
責任持って動物を飼う以上、悲しいけれど必ず相対さなくてはならない現実ですよね。
えるぐれあさん、見送るのって本当に辛いですよね…
私も何頭、見送っただろう。。。
愛犬の病院選び、人間と同じだと思います。
納得いかなければ、絶対セカンドオピニオンです!
東京にいる時は、とても信頼できるお医者様に恵まれたので頼りっきりでしたが、こちらに越してきてからは使い分けています。
予防接種などをお願いするのはお散歩がてら行ける病院、ちょっとおかしいぞ?と思われるときは車で15分程度かかる病院という具合に…
ペットといえども家族・我が子と同じな訳ですもの、納得できる治療を受けさせてあげたいと思います。
「ショーティーのママ様」
でも、後悔しないためにも信頼できる先生かどうかは大切ですね。
その上でどこまでの医療行為をするか決めるのは飼い主です。
どうせ駄目なんだから何もしないなんて絶対にありえない!
だけど良い先生もスーパーマンじゃないから、いざというときに何が起こるかはわからない!
何かのときのために宜しければ東京にいたときの先生を教えてください♪
「」
最期の時。。。
必ず訪れる瞬間ですよね。
その時を一緒に迎えるのはやはり一番大好きな人のそばで。。。
どんな子もそれを望んでいると思います。
しかしそれすら叶わない子がたくさんいる。
何だか色んな事を考えさせられました。
そのときが来たら悔いの無いように出来る限り精一杯の事をしたいと思います。
「」
我が家も使い分けしてます(^-^;
外科、内科、眼科、通常の検診などなど・・・・
診察券が沢山(;´▽`A``
最後の時・・・・
後悔すること無く、しっかり見届けてあげたいですね
「みぞ様」
オルフェのおじいさんの肺がんの手術、心臓を取り出したり助手が6-7人付くなどとにかく凄い手術でした。
それなのに先生の方針で入院は必要最低限の2泊。
理由は犬にはどうして病院にいるのかわからず、精神的な不安は回復の妨げになるから。
そして大手術だからこそ万一の事が起こる確率も高く、息を引き取る運命ならば家族と一緒が犬の幸せ。
技術も考え方でも、全てにおいて素晴らしい先生でした。
そんなときに庭にやって来るようになった捨て猫がいて、そのギャップに胸が苦しくなりました。
今その子猫ちゃんは実家のアイドル猫になっております。
大型犬4頭いた我が家にターゲットを絞っただけでも凄い猫ですが、凄く利口でかわいい子なのですよ。
「ラティまま様」
なんてったって人間と違って専門医が滅多にいないし、いても人柄が良いとは限らない。
人柄が良くても技術と知識があるかが問題!
エグレアが歩けなくなったとき、色々調べてわらをもつかむ思いであちこちで診ていただいたり、リハビリセンターを探したり...
でも結局その時は、普段お世話になっている信頼できる先生が一番でした。
でも、やるだけやった事で自分を納得させた面もあると思います。
「」
リトルを迎えたのは縁ですが、ジュニアが元気なうちに2頭目を迎えないと!とずっと思っていました。
ペットロスになってしまう自信があったので(^^;
我が家でも病院選びは去年直面した問題です。
近所の犬友からの病院情報は貴重です。
今度いろいろお話聞かせてくださいね。
「ごんた様」
病院情報、ドンドン交換いたしましょう。
私は幼稚園のときから犬がいない時はないのじゃないかな?
でも別に親が犬好きなわけではなく、飼いきれなくなった親戚が連れてきたり、迷子犬を飼ってあげたりでした。