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えるぐれあ

Author:えるぐれあ
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えるぐれあ:アフガンハウンドをこよなく愛す40代の女性、犬&猫が安心して暮らせる社会を目指しその一環で会社を設立。
ルミノーサ コートケアシリーズは↑HPよりご購入いただけます。

<大型犬用オリジナルレインウエアーの製作は申し訳ありませんが当面お休みします。>


Rioパパ:持参金ならぬ持参犬付きのえるぐれあの影響で、すっかり愛犬家になってしまった管理人の夫

ガウディ:2005年6月3日生まれ シルバーBM
Rioパパの好きな建築家アントニオ・ガウディから名前を頂戴した心優しい大きな男の子

セナ:2005年8月20日生まれ
コンパクトなホワイトアフガン、やんちゃなお転婆娘も3歳を過ぎてグッっと大人になりました

エル・コンドル:2006年3月18日生まれ(勝手に設定^^) ブルーブリンドル
エルは虐待的な環境に置かれていた模様です。
保健所に収容され悲惨な状態でいたところ、東京の保護団体Dog Shelterにより救出され殺処分を逃れることができました。エルは我が家で生まれ変わり美しく羽ばたきます!

ディーバ:2003年10月20日生まれ(勝手に設定^^)
ブラック&タンの落ち着きと知性に溢れる女の子 某ペットショップの倒産と飼育放棄で保護されたアフガンファミリーのお母さん犬として家族を護り育ててきた肝っ玉母さんでしたが、母親を卒業し普通の家庭犬として我が家で楽しく暮らして貰うことになりました 

オルフェ:1998年4月4日生まれ
B&Wの穏やかな女の子 フランスから連れ帰ったエグレア&ヨルティップの孫娘 ママの結婚で一緒にお嫁入りして私の側にいてくれた愛する娘 2011年10月20日 13歳でお星様になりましたが心はいつも永遠に一緒です

エグレア:1989年3月14日生まれ
フランス生まれのオルフェのおばあちゃま 2005年に16歳でお星様になりましたが、私の永遠の名犬ラッシーです。

エル・ヨルティップ:1989年3月17日生まれ
同じくフランス出身のオルフェのおじいちゃま 2000年に11歳でお星様になりましたが、これほど多くの人に愛される魅力的な犬には二度と巡り合えない化も知れません

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もう一度真央さんネタ !

ごめんなさい!
もう一度オリンピックのフィギアスケートのお話です^^


真央さん~

真央ちゃん~~



ジェットコースターに乗っているような二日間でした!

ショートでまさかの16位

どうなる事かと思って挑んだフリーは とにかく凄すぎて魂が震えました...





私 犬ブログで書いておりますが、 実はかなりフィギアスケートを追いかけています^^
白状しちゃうと、ブログチェックも犬物よりフィギア物の方が熱心でして...笑



昨日のフリープログラムの真央さんの演技の凄さは、普通の人にはわからないものだと思う。
点数は本来であればプラス10~15あっても良いくらいのプログラムであり神がかった演技でした!


真央さんがずっと追求してきたトリプルアクセル(3回転半)は現役選手では真央さんしか飛べない、男子でも難しい大技。
そして、3-3(トリプルトリプル)も他の誰よりも難しい組み合わせ、ダブルアクセルのコンビネーションも女子の物としては最高難度と言っていい。

簡単に言うと、今までだれ一人チャレンジしたこともなく、今の現役選手の誰一人実現できない超難プログラムにチャレンジして成功したのです!


マスコミは自己ベスト更新とか言って喜んでいるけれど、実は色々とおかしなポイントがあります。
他の選手では認めれれている程度の回転不足(というより、セーフに見える?)に非常に厳しい判定がだされて減点。
美しい成功ジャンプでさえの加点が他の選手に比べて極端に少ない。
芸術性やスケーティング技術への評価なども???意味不明


でも そんな事どうでも良いくらい、
ファンならば皆涙腺崩壊の神演技でした!






一昨日のショートプログラムでは真央さんにはありえないミスと、これまた信じられないような採点で真央ちゃんだけでなくファンも顔面蒼白でした。

私なんて、

<神様も、亡くなったお母様も どうして真央ちゃんを支えてくれなかったの?

4年をこの日だけにかけて来た真央ちゃんの心は壊れてしまうのではないかしら...>


と複雑な思い襲われる”勝手に親戚のおばちゃん気分”で、昨日は朝から夜まで恐ろしく落ち込んでしまうほどでした。



でも、このロングプログラムの演技を見て緊張が感動かわり、その後すべてに納得したのです!

スケートの神様もお母様も ちゃんと真央さんを導いてくれていた^0^



では、なぜにそう思うのか?

今朝の演技で使われた音楽は セルゲイ・ラフマニノフ 「ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18」

ラフマニノフはロシアの作曲家ですが、作品の酷評、プライベートでの問題も重なって自信喪失から創作不能に陥り、絶望の果てに精神衰弱にも襲われます。
後に治療の甲斐あって回復し作曲ができるようになるのですがが、その数年間の苦悩を抜け出すきっかけになったのがこの楽曲。



私の考え、おわかりになりますか?
ラフマニノフのこの曲と一体になるためには絶望的な感情が絶対に必要だったのだと思います。

ショートの事は本当に残念で残念でなりませんが、あの経験なくしてこの気迫の神演技ができたかどうか。
それほどの、技術を超えた超人的な世界がそこにはありました。

技術を超えたと書きましたが、そんな事ができたのも真央さんの尋常ではないフィギアスケートへの真摯な姿勢と精進の日々があったから。

神様は、営利目的に発展し続けるオリンピックを象徴する金メダルや、審判の裁量でどうにでもアレンジできる採点などを超えた世界を真央ちゃんを通して私たちに見せてくれた。


ロシア・フィギアスケート会の重鎮、タラソワさんのロシア解説は、本当に優しく真央さんへの愛に溢れ、最後は涙で言葉が震えていました。

演技終了時にはあの冷静沈着そのものに見える佐藤先生も、瞳に涙を浮かべておられました。

佐藤コーチは 「何かあったら先生が助けに行くから」と声を掛けて真央選手を送り出したとか。


ああ、こうして書いているだけでまた私も涙が...





楽曲に付いてはこちらに詳しく↓

作曲の経緯[編集]

ラフマニノフの《交響曲第1番》は、今でこそ重要な業績と看做されているが、1897年の初演時には批評家の酷評に遭った[4]。私生活における問題も相俟って、ラフマニノフは鬱傾向と自信喪失に陥り、創作不能の状態となる。1899年にロンドン・フィルハーモニック協会の招きでイギリスに渡ったラフマニノフは、ここでピアノ協奏曲の作曲依頼を受け創作を開始するが、再び強度の精神衰弱におそわれる。

しかし、1900年に友人のすすめでニコライ・ダーリ博士の催眠療法を受け始めると快方に向かい、同年夏には第2、第3楽章をほぼ完成させた。最大の難関として立ちはだかった第1楽章も同年12月頃に書き始め、1901年春には全曲を完成させた。初演は大成功に終わり、その後も広く演奏されて圧倒的な人気を得た。本作品の成功は、ラフマニノフがそれまでの数年間にわたるうつ病とスランプを抜け出す糸口となった。作品は、ラフマニノフの自信回復のためにあらゆる手を尽くしたニコライ・ダーリ博士に献呈された。



追記:この真央さんの演技について、違う側面より具体的に分析されているブログ↓をご紹介^^

月船書林さんの ー奇跡ー

フィギアスケート分析ノート

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